溶存酸素の変動から読み解く海の炭素の流れ

海洋は、大気から二酸化炭素を吸収し、長い年月にわたって貯蔵・隔離することで、今日の穏やかな気候を形作るうえで重要な役割を果たしています(図1左)。海洋が二酸化炭素を吸収・隔離するメカニズムの一つに、「生物炭素ポンプ」と呼ばれる、海洋表層の生物活動による仕組みがあります(図1右)。生物炭素ポンプでは、海水に溶け込んだ二酸化炭素が植物プランクトンの光合成によって有機物に変わり、その有機物が死骸や糞となって海水中を沈降していくことなどにより、二酸化炭素が海洋表層から深層へと運ばれていきます。生物炭素ポンプのすべての輸送経路について炭素の流れを直接測定することは困難であり、一体どこでどれほどの二酸化炭素が生物炭素ポンプによって海洋に取り込まれているのかについては、いまだ謎に包まれています。

図1 地球全体の炭素循環(左)とその一部を構成する海洋生物炭素ポンプ(右)の概念図。左図において、数字は各系(大気や海洋など)の炭素の貯蔵量(単位:10億トン炭素)、矢印の数字は炭素の流れ(単位:1年あたり10億トン炭素)を表す。黒字または白字は産業革命以前の状態、赤字は人間活動に起因する変化分を表す

そこで本研究では、測定が難しく観測数が限られる炭素の流れの代わりに、比較的データ数が豊富な海水中の溶存酸素濃度(図2)を用いることで、生物炭素ポンプの謎に迫りました。生物炭素ポンプでは、植物プランクトンが太陽光の届く海洋表層で光合成を行う際、消費される二酸化炭素量にほぼ比例して酸素が生成されます。したがって、もし海洋表層の溶存酸素データから一年間に植物プランクトンが生成した正味の酸素量を求めることができれば、その関係を用いて、一年間に生成された有機炭素量を算出できます。

図2 海水の溶存酸素観測の概要。溶存酸素データは、歴史的に水温や塩分に次いで古くから船舶観測(左上)によって、近年ではフロート観測(右上)によって取得されている。(下)本研究で使用した年間観測数(棒グラフ)と溶存酸素データが1年サイクルの記述に十分な数存在する海域の割合(黒線)

海洋表層の溶存酸素は、生物過程以外にも、大気海洋間の交換や水平・鉛直方向の流れ(移流)・拡散といった物理過程によっても変動します(図3中央)。本研究では、これまでに取得されてきた40万件を超える溶存酸素データ(図2)と、物理過程に関する最新の知見・データを最大限に活用し、すべての物理過程の寄与を正確に計算しました。そして、観測された溶存酸素変動からこの物理過程の寄与を差し引くことで、生物活動全体による正味の年間酸素生成量を、全球海洋で求めることに初めて成功しました(図3)。

図3 海洋表層の溶存酸素収支の概念図(中央)とその年間内訳(左右)。海洋表層の溶存酸素濃度は、物理過程(大気海洋交換、水平/鉛直移流、水平/鉛直拡散)、および生物過程(光合成と呼吸)によって変動する。赤色(青色)の海域では、海洋表層から各過程によって年間平均で酸素が供給(除去)されている

得られた正味酸素生成量を炭素量に換算した結果、生物炭素ポンプによる実際の海洋炭素取り込み量は年間74±21億トン炭素であり、これは従来の推定値(年間130億トン炭素)よりも大幅に少ないことが明らかになりました。また、本研究が初めて明らかにした全球での空間分布は、各半球の高緯度域や熱帯域において、生物炭素ポンプが海洋への炭素取り込みに対して重要であることを示しました(図4)。

図4 生物炭素ポンプおよび大気海洋間二酸化炭素交換の緯度分布。各半球の高緯度海域(40°よりも極側)や熱帯域(20°Sから20°N)では、海面を通して供給される炭素よりも多くの炭素が深層に運ばれており、海洋炭素取り込みにおける生物炭素ポンプの重要性を示している

今後は、本研究の手法をさらにアップデートし、「ハビタブル日本」において日本周辺海域で展開される新たな観測と組み合わせることで、日本近海の海洋変動を物質循環の観点からより詳細に理解できることが期待されます。

この研究の詳細については、以下の論文をご覧ください。
Yamaguchi, R., S.  Kouketsu, N. Kosugi, and M. Ishii (2024): Global upper ocean dissolved oxygen budget for constraining the biological carbon pump. Communications Earth & Environment5, 732, doi:10.1038/s43247-024-01886-7.

(2025年11月 山口凌平@A01-1, ECHOES)